09
Jun
2009
日本の昔ながらの和船を作る時、船大工は古い和船に使われていた木材の一部を切り取り、わざわざ新しい船の帆柱などに組み込みました。とかく危険がつきものの海や川での仕事で、長年無事に活躍した船は縁起の良いものですから、その運にあやかりたいという意味でしょう。ここにも、前に書いた九十九神(つくもがみ)という考え方があるように思えます。余談ですがそういう時に使われるのは、「弾入り」と言われる木だったと言います。これは、山に生えていた時に、猟師が放った鉄砲の弾がたまたま食い込んで、そのまま育った部分のことで、なぜそれが良いのかは判りませんが、滅多にないことだから縁起が良いというような意味でしょうか。
最近よく聞かれるリサイクルというのは大変に良いことですが、日本人は昔からそれを実践してきました。モノとしての再利用というだけでなく、古いモノには神様が宿っているから、人間を超える力に守って欲しいからと願う気持ちがあるのは、さらに意義の深いことだと思います。仏壇ならなおさらそうです。私たちの「百年仏壇」には、そんな昔ながらの思い入れや心配りも込めたつもりです。
24
May
2009
私たちの店にはよく古い仏壇が持ち込まれてきます。お客様の生活環境が変わって、古い仏壇を置くスペースがないので買い換えなければならないなどの理由ですが、それらの仏壇がしっかりした素材をつかってあり、工芸品としても一流の仕上がりだったりすると、なんともいえない寂しい気持ちになります。
仏壇はリサイクルができないので、お焚きあげと言って解体、焼却処分するのですが、よく言われる「魂が抜かれている」というのはちょっと微妙な表現だと思っています。魂はそもそも不滅なはずで、仏壇がどうかなったくらいで一緒に消えたりはしません。不吉な話ですが、災害などで仏壇はもちろん、ご本尊まで失われたとしても、魂は健在なはずで、家を立て直している間も、仏壇やご本尊を新しくしてからも、変わりなく一家を守ってくれているはずです。
日本には昔から九十九神(つくもがみ)という考え方があります。長い間使い続けた道具には魂が宿るというもので、このため全国各地に包丁塚や人形塚などがあり、針供養が行われたりします。私は、長年家族の祈りの対象だった仏壇には、この九十九神がいるような気がしてなりません。もちろんお炊きあげにはそれを供養するという意味もあるのでしょうが。
そこで私は、古い仏壇の一部を、新しい家具調の仏壇の部品として生かすことを考えました。思いついてから、改めて仏壇の構造を調べたり、デザインを考えたりと、思った以上の時間がかかりましたが、「百年仏壇」という名前で、何とか実現することができました。百年とはちょっと短いような気もしますが、現在持ち込まれる古い仏壇はせいぜい数十年経ったものが多く、古い仏壇の命をせめて百年伝えたいという思いを込めました。お店には、このちょっと変わった形の百年仏壇が陳列されています。古いお仏壇をお持ちの方に、一度ご覧いただけたらと思っています。
18
May
2009
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拝む心
新型インフルエンザの国内感染が広まっています。国を挙げて対策が進められるなか、感染者を出した高校に、避難の電話が殺到するという残念なニュースを聞きました。誰も免疫がないウィルスに感染したからと言って、学校や生徒に落ち度があったとは思えません。むしろ冷静な対応こそが必要だとおもいます。
昔の人はこんな時に疫病退散の儀式を行いました。儀式そのものに科学的な根拠はないのかもしれませんが、大きな災厄を前にして多くの人が心を一つにすることで、冷静な対応をすることができるなら、二次的、三次的な被害を防ぐ役に立つかもしれません。とりわけ博多山笠をはじめ、現代に伝わるいろいろな行事が、疫病退散の儀式から始まったと言われていますから、そこには先人が後の世に伝えたいと願った、何らかの効用があったとも考えられます。
ちなみに三大長谷寺のひとつ、長野県の金峯山長谷寺(長谷観音)のご住職のblogには、疫病退散のために写経を行ってはどうかという記事がありました。
http://www.hasedera.net/blog/2009/05/post_135.html
この中では、写経の前に口をすすぎ手を洗うという実質的な効用まで指摘されておられましたが、人の力を超えるものの前に祈るという行為が、今こそ意義があるような気がします。
13
May
2009
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General
最近、「厨子(ずし)」の話題をよく聞くようになりました。厨子というのは、ご本尊や御位牌を安置する箱状の仏具で、お仏壇に比べると小さくて持ち運びも可能なものが多いのが特色です。飛鳥時代に作られたという国宝の法隆寺玉虫厨子などからわかるように、江戸時代以降に普及したお仏壇に比べ厨子の歴史は古く、現在のお仏壇も厨子の一種とも言われています。お仕事をリタイアされ、マンション等に引っ越して新たなセカンドライフをという方が、それまでの大きなお仏壇に代えて場所をとらない厨子をご利用になるということもあるようです。
17
Apr
2009
仏壇というと、誰かが亡くなられた時に買うものと思っている方がいます。もちろんそれでも構わないのですが、本来はそれぞれのご宗旨のご本尊をお祀りし、その中に代々の位牌を安置するための場所で、お墓とはちょっと意味の違う神聖な場所です。昔はよく、家を新築・改築した時にお仏壇を新しく立派なものに取り替えました。その家の一家が努力して自分たちだけでなく先祖の住まいまで立派にできたという意味で、晴れやかでおめでたいこととされました。代々続く名家のお正月の行事は、家族全員が仏間に集まり、当主が仏壇に祈ることから始まります。戦国武将も戦の前に屋敷の仏堂にこもって勝利を祈念したといいますが、現代人の暮らしでこの仏堂に当たるのが仏壇です。迷いや不安が生じたときにも、お仏壇に向かって拝むことで精神集中を図るというのもいいでしょう。なくなった方の供養だけでなく、今いる方々の毎日の暮らしの支えとなるのが本当のお仏壇の役割です。
21
Dec
2008
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General
御位牌は、ご先祖や故人の分身です。以前はよく、火事や災害の際に位牌だけ持って逃げたという話を聞きました。失ったら二度と取り返しのつかないものであるし、逆に先祖の守りがあれば失った財産の再建もできるということでしょう。木製の位牌に戒名を書き、御仏壇に安置するのが普通ですが、たとえ紙であれ戒名を書いたものはすべて位牌に準ずるものであるので、粗末な扱いはできません。北海道だけの風習かもしれませんが、よくお葬式の会葬御礼のハガキに故人の戒名を記しますが、受け取った方が処分してしまうこともありえるため、ハガキに戒名を書かせないお寺もあります。これもひとつの見識だと思います。
25
Oct
2008
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General
仏舎利(ぶっしゃり)とは、お釈迦様のお骨です。一緒に荼毘に付された装飾品の宝石や宝玉なども同じように扱われています。仏教徒は、塔を建ててその中に仏舎利を安置し、供養するものとされてきました。古い佛教は偶像崇拝を禁止していたため仏像なども作られず、仏塔そのものが礼拝の対象でした。今日でもなくなられた方のご遺骨を大切に供養したり、お墓に卒塔婆を立てたりするのも、塔を建てて仏舎利を供養することにならって亡くなられた方を供養するという意味があります。昔の中国では、死者は荼毘に付すことなく埋葬していました。そこで例えば犯罪を犯した者は皇帝の命で地の果てまで追跡されましたが、もし死んでしまっていた場合は、その墓を暴いて遺体を太陽の光に晒して辱めることで罰を与えました。佛教が伝わってきた中国のそうした風習の名残などもあり、日本は、いかに自然を大切にする国とはいえ、ご遺灰を自然の中に放置することは死者への冒涜とされてきました。ですから、散骨・自然葬というのは佛教から言えば死者の尊厳を高める行為とは言えません。
03
Oct
2008
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拝む心
昔は、子供の頃からお寺に顔出すのが当たり前とされていました。大人になって自分の先祖を供養していただくだけでなく、お盆やお彼岸などの行事にはお手伝いをしにでかけるのが普通でした。人間というのは弱いもので、自分の身を守るだけで精一杯なこともあります。それだけに、自分だけでなく、家族、仕事仲間、ご近所と、より多くの人を助けられる人間になってゆくのは、理想の生き方です。お寺に行き、そこに集まる人々のために奉仕するというのは究極のボランティア活動と言えます。お寺というのは、お坊さんをはじめそういう「徳の高い人々」の集まる場所ですから、子供のうちから出入りさせるのには非常に意味のあることだと言えます。観光客として有名な寺院を外から拝むだけでなく、代々のおつきあいのあるお寺に顔を出すというのも、お寺との本来のおつきあいのあり方なのではないかと思います。
12
Sep
2008
最近、木目を生かした現代風仏壇が人気を呼んでいます。家具と同じセンスで選べるという点で、現代人に人気があるのでしょう。一方、金箔、漆塗りの仏壇の良さは、分かってもらえなくなったのかもしれません。もちろんそれぞれの良さがありますが、今回は漆塗りの魅力を少し。漆というのは単なる塗装ではありません。ペンキなら、厚く塗った仕上げを見て素材の悪さをカバーしたものと思われても仕方がありませんが、漆は塗料それ自体が価値を持つものです。漆を塗って長居年月耐えられるように専用の仕上げを施した木地に、専門の職人が手作業で塗り重ねて行く漆は、海外では「JAPAN」と呼ばれ、日本を代表する工芸技術です。漆製品は、下地の木に何を使っているかではなく、漆の塗りの厚さや光沢などで価値が決まります。そして、正倉院御物や各地の寺社の荘厳具に見られるように、何百年も変わらぬ美しさを保ちます。とりわけお仏壇は、漆塗りの食器や調度品に比べて、はるかに大量の漆を使うため、それだけ贅沢で価値の高いものです。ただ黒いだけに見える表面も、じっと眺めているとなんとも言えない輝きや深みを感じるはずです。それが日本人の心の中にある、「正式で格調ある黒」「清浄で貴い位を表す黒」そのものです。今度漆塗りの仏壇を見る機会があったら、その表面の色合いも味わってみてください。
03
Aug
2008
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拝む心
インターネット上でも、最近永代供養のご案内をよく見ます。家や宗派にとらわれず、好きな場所で供養されたいという方が増えたためだと思われます。以前は無縁仏と言われることもありましたが、本人の意思で生存中に供養のされ方を選ぶという、積極的な意味合いがあるように思います。\r\n一方、昔からの永代供養は、お寺にとって特別な功績のある方の霊を、寺の続く限り供養するというものでした。しかしどんな方でも、一度お寺で供養を受けたなら未来永劫供養され続けるのと同じでしょうから、永代供養というのはなかなか良い名称だと思います。ですから、どんな供養が正しいということはないでしょうが、家のお仏壇に安置され何世代にもわたって供養されるというのは、とりわけ現代では特別に恵まれた方と言えるでしょう。核家族化が進み、どんな家にでもお仏壇があるというわけではない現代では、そういう方が少なくなってるのかもしれません。だとすると、ちょっと寂しいような気がします。